INTROどんな本か
偏見は、だいたい悪意の顔をしていない。
好意の言葉として出てくる。冗談の形でも出る。窓口の事務手続きにも紛れ込む。この下巻は、その一つひとつを、淡々と積み上げていきます。
ミン・ジン・リーさんの『PACHINKO』、池田真紀子さん訳の文春文庫の下巻です。上巻から続く第二部「母国」の終盤と、第三部「パチンコ 1962–1989年」で、1955年から1989年までを描きます。
先に断っておくと、この紹介は結末には踏み込みません。ただ、物語の中盤の展開には触れます。まっさらで読みたい人は、読み終えてから戻ってきてください。
兄ノア、弟モーザス、そして第三世代のソロモンへと、視点が移っていく。学費、恋人、出生の秘密、14歳の指紋。それぞれの場面で、「外国人」「コリアン」というまなざしが人物を縛る。派手な演出には頼らない。日常の場面で、人を追い詰めていきます。
第三部の扉には、国民とは「想像された共同体」だというベネディクト・アンダーソンの一節が掲げられています。俺は2021年の連載の政治の回で、人間は居ない誰かを作れる生き物で、イデオロギーや文化や宗教が虚構を生む、と書いた。その虚構の線の上で、実際に人生を削られる人たちがいる。この下巻は、その側から書かれています。
もうひとつの柱が、パチンコという生業です。蔑まれる仕事を、正直に営む。モーザスが20歳で店長になる場面から、ソロモンが家業と向き合う終盤まで、店は物語の背骨になっている。
巻末には、謝辞、渡辺由佳里さんの解説、著者から日本の読者へのメッセージが付いています。謝辞によれば、着想は1989年、大学時代に聞いた、卒業アルバムに差別的な言葉を書かれて飛び降りた在日の中学生の話でした。
これは、個人の弱さの物語じゃない。構造の物語です。
俺はこの本を、気軽には勧めません。でも、読む価値は確かにある。上巻から通して読んで、はじめて下巻の重さの意味が分かる本です。
CHAPTERS章ごとの中身
11〜12章喧嘩少年モーザスとパチンコ店主・後藤
下巻は、1955年10月の大阪・鶴橋から始まります。16歳のモーザスは腕っぷしが強く、出自をからかう同級生や、屋台の母と祖母に絡む客を殴ってきた。ソンジャは苦情に慣れ、ヨセプとノアは大事になるのを案じている。
放課後は鶴橋の屋台を手伝うけれど、物売りは女の仕事という意識があって気が進まない。楽しみは、市場の向かいの靴下店で働く18歳の日本人・千秋に会うこと。ある日、千秋に言い寄って体に触れた男性客を、モーザスが殴って歯を折る。警察が来るが、居合わせたパチンコ店経営者・後藤が一家の人柄を保証して、警告だけで済む。在日は騒ぎを起こせば追放されかねない、というノアの戒めを思い出し、モーザスは兄を失望させたと恥じます。
後藤は済州島の海女を母に持つ陽気なコリアンで、3店を持ちながら暮らしは質素。「学校をやめてうちで働け」と申し出て、ソンジャも同意する。半年働いたモーザスは、学校より多くを学ぶ。同僚の多くが在日なので、差別の言葉からも解放される。給料は全額を母に渡し、ソンジャは彼の将来の店のために貯める。玉の出方を決める「釘調整」を教わり、生まれて初めて人に褒められる。
後藤の人の使い方は、出自で選ばず、問題を起こした若者にも役割と正当な給料を与え、技能を教えて褒める、というもの。モーザスを仕立屋の外山の狭い家へ連れて行き、従業員の制服を注文して代金を多めに払い、家賃の心配を消してやる。恩を押しつけずに、人を回していく。
学校が与えなかった居場所を、蔑まれる業界が与えた。下巻の皮肉は、最初の章からもう始まっていると俺は思う。
13〜14章誰の金で学ぶか、帰国船に乗る人
13章で、ノアが早稲田に合格します。けれど授業料の当てがない。ヨセプは被爆の火傷が悪化して皮膚の感染症に苦しみ、家族の負担になっている自分を責めて、死を願うほどだ。台所の相談では、屋台を増やす、工具や指輪を売る、後藤に前借りする、と案が出る。キョンヒがコ・ハンスに頼る案を口にすると、ヨセプは「汚れた金」と強く拒む。
翌日、ハンスからの呼び出しで、ソンジャとノアが豪華な事務所へ行く。ハンスは合格を祝い、授業料と東京の部屋をすでに手配済みだと言う。働かず学業に専念せよ、と。ソンジャは借用書を求めるが、ハンスは「自分の息子だ」と譲らず、拒むならノアにすべて話すとほのめかす。ソンジャはヨセプの懸念が正しかったと悟るけれど、もう引き返せない。
援助には、条件と力関係が付いて回る。資金の出どころと返し方を最初に言葉にしなかった代償は、この先ずっと響いていきます。
14章(1959年12月)は、北朝鮮への帰国事業が背景です。キム・チャンホは新潟から出る最初の帰国船に乗ると決め、病床のヨセプに告げる。ヨセプは、チャンホがキョンヒを想っていると最初から知っていたと明かし、自分の死後なら結婚してよいが、今連れて行くのはやめてくれ、と頼む。チャンホはキョンヒに、一緒に北へ来てほしいと打ち明けるが、キョンヒは、夫が生きている以上、信仰の掟は破れないと断る。チャンホは深夜に一人で発つ。
翌朝、涙するキョンヒを前に、ソンジャは、自分を愛したのはハンスかイサクか、愛と犠牲は一体なのか、と考える。キョンヒは、自分自身を裏切れない人だ、と。祖国の分断の中で、残る者と去る者が分かれていきます。
15・18・19章ノアと晶子、「コリアンだから好き」
15章(1960年・東京)のノアは、早稲田の2年生。ディケンズ、ハーディ、オースティンから仏露文学へ進み、最愛はゲーテ。ハンスの仕送りで勉強に専念し、節約して実家へ送金もする。大学では「坂東」と名乗り、在日学生の政治運動とは距離を置いている。
黒田教授のジョージ・エリオットのゼミで、学内で有名な美人・梅木晶子が、『ダニエル・デロンダ』の講義の最中に、ユダヤ人国家の正当性や、日本がドイツの同盟国だった事実を持ち出して教授に反論する。ノアは、権威に臆さず違う角度から物を見る彼女に感嘆し、自分は自分の頭で考えてこなかったと気づく。次のゼミで、晶子の隣に座ります。
18章で、二人は恋人になっている。晶子は麻布育ちで裕福な家の社会学専攻。ノアの家族や朝鮮語に、研究対象を見るような興味を向ける。ノアは酒を飲まない。猪飼野で、酔って凍死した労働者を見てきたからだ。月に一度、寿司店でハンスと会い、授業や小説の話をする。独学で成り上がったハンスは教育を何より重んじ、日本人の妻との三人の娘が大学に進まなかったぶん、ノアに期待を寄せている。
そこへ、晶子が偽りの理由で寿司店に現れる。帰り道、ノアが責めると、晶子は「コリアンだから好き」と言う。ノアは、彼女が自分を一人の人間でなく、「外国人」としてしか見ていないと悟り、別れを告げる。
好意で特別視するのも、嫌悪で排除するのも、個人を見ていない点では同じだ。俺は、下巻でいちばん鋭いのはこの場面だと思っている。差別の反対側に立っているつもりの人ほど、ここで自分の足元を見ることになる。
19章〜第三部1出生の秘密と、伴宣男という名前
晶子は別れ際に、ハンスはあなたの父親でやくざだ、顔がそっくりだ、と言い放つ。ノアは大阪の実家へ直行して、母ソンジャに問いただす。ソンジャは、イサクと出会う前、妻がいると知らずにハンスと関係を持ったこと、イサクがそれを承知で結婚し、ノアを我が子として育てたこと、投獄中や戦時の疎開でハンスに助けられたことを明かす。モーザスはイサクの子で、ヨセプとキョンヒも事情を知っていた。
ノアは、コリアンの血に加えて、やくざの血まで流れている、努力がすべて汚されたと母を責め、自分が何者か見失ったと言い残して去る。1か月後、短い日本語の手紙が届く。早稲田を辞め、別の町で働く。探さないで。仕送りはする。学費はハンスに自分で返す。もう戻らない、という趣旨だ。寝たきりのヨセプは、怒りは理解しつつ、家族を捨てるのは罰が重すぎると考える。ソンジャは一人でハンスの豪邸を訪ねるが、日本人の妻に物乞いと誤解されてしまう。
物語は第三部「パチンコ」へ入り、扉にアンダーソンの「想像された共同体」が掲げられる。ここからが、国籍や民族の線引きを正面から扱う部です。
ノアは当てもなく長野へ行き、善光寺を訪ねて、神やイサク、ハンスのことを考える。通名の坂東を縮めた「伴宣男」を名乗り、関西出身の日本人として振る舞う。外国人を雇わない老舗パチンコ会社の面接で、両親は死んだと偽って即日採用される。弟と同じパチンコの仕事に就いたことに、自分で衝撃を受ける。社員寮の小部屋で規則正しく働き、経理課長の信頼を得て、正式採用になる。支配人の高野は、コリアンではと疑いながら、不問にする。
規則を守り、優秀であれば報われる。ノアはずっとそう信じて生きてきた。その前提が、生まれによって一晩で崩れる。本人の努力では動かせない場所に、人生の線が引かれています。
17章・第三部2モーザスと裕美、ソロモンの誕生
17章(1961年)のモーザスは、仕立屋で働く裕美と交際1年余りになっている。二人は週3回、コリアン系教会の英語教室に通う。裕美の生い立ちは過酷です。母は酒に溺れた娼婦、父はポン引き。14歳で妹を連れて家を出たが、妹は工場で病死した。コリアンであることを重荷と感じ、ロサンゼルスで衣装の仕事をする夢を抱いている。
英語教室のジョン・メリーマン牧師は、朝鮮生まれの孤児で、米国人宣教師夫妻の養子。自分だけが「選ばれた」ことに後ろめたさを抱え、実の親を知りたいと願っている。授業中、モーザスは英語で裕美との結婚を宣言する。大阪で自分の店を持ち、母と伯父夫婦、祖母の家を建てたい彼と、アメリカを夢見る裕美とでは、将来像がずれている。それでも裕美にとって、彼は初めての友だった。
2度の流産を経て、裕美は再び妊娠し、妊娠高血圧で絶対安静になる。差別のある日本では子を育てられないと訴える裕美に、モーザスは、移住は無理だから横浜で店を開く、と語る。ソンジャは泊まり込みで世話をし、母ヤンジンも6度の流産を経てソンジャを産んだことが重なる。30時間超の難産の末に生まれた男の子がソロモン。1歳の祝いで円の札をつかみ、お金に困らない人生の兆しとされる。
ここに出てくる「アメリカ」は、行き先というより、ここではない場所の名前だ。その願いが、母たちの連鎖と一緒に、静かに描かれています。
第三部隠して生きる人々と、14歳の指紋
第三部の中盤は、「隠して生きる人々」の群像劇になっていきます。ノアは長野で約7年、パチンコ店で働き、上司の異動後に支配人に抜擢される。事務員の岩村理佐の字の美しさに惹かれて結婚し、4人の子に恵まれる。勤勉で酒も飲まず、税にも正直。英語の小説を読むことだけが楽しみで、理佐は夫が外国人ではと気づきつつ、詮索しないと決めている。家族で行った松本城では、重税に抗って処刑された一揆の指導者の「呪い」の伝説を聞き、息子に呪いは解けるのかと問われたノアは、簡単には解けないと答える。
横浜では、モーザスの幼なじみの刑事・外山春樹(愛称トト)が結婚する。夫婦の営みは少なく、子もできない。婚約者だったあやめは、夫の秘密を目撃するが、何も問わずに家庭へ戻る。秘密と体面が、本人と家族をどう縛るか。それが静かに積み重ねられていく。
1976年の章では、春樹が、在日の男子高校生が自宅マンションから飛び降りた事件を引き継ぐ。成績優秀で絵の得意な少年は、朝鮮学校の学費が払えず日本の公立校に通い、卒業アルバムにひどい差別の言葉を書き込まれていた。学校は動かず、誰も罰せられない。作者の謝辞によれば、着想の原点は、大学時代に聞いたこの種の話だった。無力感を抱えた春樹は、モーザスの店でパチンコに逃げる。居酒屋でモーザスは、在日は日本では蔑まれ、韓国では日本人扱いされ、どこにも逃げ場がないと語る。
1979年の章で、ソロモンは14歳になる。在日は14歳で外国人登録を申請し、指紋を押さなければならない。市役所の職員は冷淡で、皮肉まで言う。モーザスは、自分たちはこの国の客にすぎないと諦めを見せ、恋人の悦子は職員に抗議して、ソロモンが受ける屈辱を代わりに背負いたいと願う。悦子の側にも、娘の花との断絶と、在日との結婚をためらう偏見の自覚がある。
俺が「人間消耗の三重構造」で書いたのは、人は内面・関係・社会構造の三つの層で同時に削られる、という話だった。この章の人たちは、その三層を一度に抱えている。誰かの弱さで片づけられる話じゃない。構造の問題です。
第三部・1989年ソロモンと、わざと負けたポーカー
最後は第三世代、ソロモンの物語です。モーザスは息子をインターナショナルスクールに通わせ、英語を身につけさせて、米国企業などで働かせたいと考えている。ソロモンは英国系投資銀行の東京支社に、本国採用の待遇で入社する。それでも部屋を借りるには、外国人ゆえ保証人が要る。恋人で韓国系米国人のフィービーは憤る。
フィービーは「韓国か北朝鮮か」と聞かれること、日本生まれのコリアンが帰化をためらう事情に反発し、日本は戦争犯罪を認めていないと怒る。ソロモンは反射的に日本をかばう。ソウル旅行では、むしろ日本人として扱われる。二人の溝が深まっていく。
上司カズのチームの月例ポーカーで、イタリア人同僚が、パチンコとコリアンとヤクザを結びつける冗談を言う。外資なら偏見は少ないと考えた父の期待とは違う現実だ。ソロモンはその後、強い手でわざと降りて負ける。カズはそれを見抜き、成功にも失敗にも代償(「成功税」「失敗税」)があるが、無難に生きる者の払う税こそ重い、勝負は投げるな、と説く。
1週間後、ソロモンは横浜でゴルフ場用地を買い集める案件に、最年少で加わる。売却を拒む最後の一人が、相続人のいない老女・松田苑子だった。ここから先は、結末に関わるので書きません。
ただ、パチンコという生業を世代を超えて正直に営むことの尊厳と、血や国籍でなく、どこで生きるかが人を決めるのか、という問いは、最後まで貫かれている。俺は、この問いを抱えたまま本を閉じるのが、いちばん誠実な読み方だと思います。
LESSONS明日から使える教訓
- 言いにくい事実ほど、自分の口で早めに伝える重大な事実を長く伏せると、第三者から突然知らされる、という最悪の形で露見しやすい。物語はそれを、何年もかけて見せてくる。伝える順番とタイミングは、中身と同じくらい重い。
- 相手を属性で見ていないか、点検する属性で好むのも嫌うのも、個人を見ていない点では同じ。偏見は、悪意のない冗談や何気ない質問の形で出やすい。多国籍の職場では、出自を雑談の種にしないこと。
- 善意のお金ほど、条件を言葉にしておく援助には条件と力関係が付いてくる。資金の出どころと返し方は、最初に明確にしておく。事業づくり的にいうと、外部の人脈で成果を取り、問題が起きたら個人に責任を押しつける構図は、現実の組織にもある。誰のための仕事かを見極める目を持っておきたい。
CONCLUSION俺の結論
結論。人を、属性で見るな。好意でも、嫌悪でも。
この本を閉じたあとにできることは、たぶん小さい。冗談の種に出自を使わない。窓口や採用の手続きで、相手を「外国人」という一語で処理しない。好意のつもりの「〜だから好き」も、一度疑ってみる。言いにくい事実は、自分の口で早めに伝える。
線を引いたのは、だいたい人間の側だ。だから、引き直せるのも人間の側だと、俺は思っています。この本は、その線の上で生きた人たちの時間を、四世代ぶん見せてくれる。
FOR YOUこんな人におすすめ
- 上巻を読み終えて、続きを見届けたい人
- 歴史と家族を描く長編小説を、時間をかけて読みたい人
- 国籍や出自、差別の問題を、物語の中で考えたい人
合わないかもしれない人:上巻を読んでいない人。下巻から読むと人物関係が追いにくくなります。差別や家族の離散、人の死に関わる重い場面もあるので、気持ちに余裕のあるときに。
FAQよくある質問
『パチンコ 下』はどんな話ですか?
ミン・ジン・リーさんの長編『PACHINKO』の下巻で、1955年から1989年までを描きます。ノアの出生の秘密が明かされて家族が離散し、物語は第三世代のソロモンへと移ります。
下巻から読んでも大丈夫ですか?
おすすめしません。上巻から続く人物関係が前提なので、下巻から読むと分かりにくくなります。上巻から通して読むと、下巻の重さの意味が分かります。
下巻の主な登場人物は誰ですか?
ソンジャの息子の兄ノアと弟モーザス、モーザスの息子ソロモンが中心です。ほかに、ノアの恋人・晶子、モーザスの妻・裕美、ソロモンの恋人フィービーが登場します。
タイトルの「パチンコ」にはどんな意味がありますか?
物語では、在日コリアンが就ける数少ない生業として描かれます。大半の客が負けるよう調整された台でも客は打ち続け、蔑まれる仕事を正直に営む尊厳が、世代を超えて受け継がれていきます。
ノアが名前を変えたのはなぜですか?
恋人の言葉で「外国人」としてしか見られていないと悟り、出生の秘密も知って家を出たためです。通名「坂東」を縮めた「伴宣男」を名乗り、日本人として長野のパチンコ店で働きます。
第三部の扉の「想像された共同体」とは?
ベネディクト・アンダーソンの一節で、国民とは想像された共同体だという考え方です。国籍や民族の線引きが、この下巻の主題であることを示しています。
重い場面はありますか?
あります。差別、家族の離散、人物の死や自死に関わる場面が含まれます。気持ちに余裕のあるときに読むことをおすすめします。
巻末には何が付いていますか?
謝辞、渡辺由佳里さんの解説、著者から日本の読者へのメッセージです。謝辞によれば、着想は1989年、大学時代に聞いた在日の中学生の話でした。
翻訳者は誰ですか?
池田真紀子さんです。文春文庫で上下巻が出ています。
この本から仕事で学べることはありますか?
重大な事実は自分の口で早めに伝える、相手を属性で見ない、援助の条件は最初に言葉にする、といった点が挙げられます。
MONOGENIC伊丹谷のブログから
- 連載:Think out the box vol.7 “政治”人間は居ない誰かを作れる生き物で、イデオロギーや文化が虚構を生む。第三部の扉の「想像された共同体」と同じ場所を見ている
- 人間消耗の三重構造フレームワーク人は内面・関係・社会構造の三層で同時に削られる。隠して生きる人々の群像は、その三層を一人ずつ見せてくる
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