INTROどんな本か
はい、プリンスです。2020年に岡村靖幸さんのアルバムの感想を書いたとき、「プリンス好きな俺としては」と前置きしたくらいには、好きです。
ただ、この本はファンだけのものじゃない。音楽の本というより、仕事のやり方の本として読めるんですよ。頭の中に完成形がある人が、それを最短で形にするために、何を整え、何を捨て、誰に何をさせたか。その記録です。
著者はジェイク・ブラウン。原書は2016年の『PRINCE IN THE STUDIO』で、日本語版はDU BOOKSから2018年12月12日に出ました。訳は押野素子さん。エンジニアやバンド・メンバー、家族の証言をアルバムごとに並べた構成で、1977〜94年が中心です。
ざっくり言うと、全部ひとりで録る人の話。頭の中で曲が鳴っていて、それを形にするだけ。だからドラムから順に、一人で重ねていく。だから速い。
『1999』の表題曲は、朝来て20分で書き、昼にミックス、夕方にはマスタリングまで終えた、と証言されています。マジかよ。
俺もLIMITSの試合BGMを、DJに曲をかけてもらうのをやめて、自分で作り始めた人間です。規模はまったく比べものにならないけど。笑 人を待つより、自分で回す。この本の芯は、そこにある。
ただ、面白いだけでは終わらない。24時間体制に付き合ったエンジニアは、約5年で燃え尽きて離れた。速さの裏側も、ちゃんと書いてある。
俺は2021年に、自分が作ったイベントが事業になったとき「伊丹谷は全部一人でやってしまう」「それでは大きくなれない」と言われた話を書いた。この本は、全部一人でやって大きくなった人の記録でもある。どっちが正しいかじゃない。一人で決める速さと、それが周りに残すもの。その両方を見せてくれるから、この本は信用できる。
効くのは、ものづくりの現場で速さと質を両立させたい人。自宅録音やDTMで一人で作っている人。それから単純に、プリンスの現場を覗きたい人。曲を知らなくても、仕事の本として読めます。
CHAPTERS章ごとの中身
第1〜5章スタジオの鍵を預けられた少年

最初の5章は、プリンスがスタジオの人になる前の話です。父ジョン・L・ネルソンはジャズ・トリオのピアニストで、昼は工場勤務。母は歌手。「プリンス」という名は、父が果たせなかった夢を託したものだと紹介されます。両親は8歳前後で離婚し、父が残したピアノが最初の楽器になった。ドラムは新聞紙を詰めた箱。独学で、耳から覚える。
貧困、継父への反発、12歳での家出と転居。そんな中、継父に連れられたジェイムズ・ブラウンの公演で、バンドを完全に統率する姿に強く惹かれる。13歳でアンダーソン家に引き取られ、母バーナデットは「卒業すること」だけを条件に、地下室を寝室兼練習場にしてくれた。親友アンドレ、チャールズとバンドを組み、目標はJBのバンドのような完璧な仕上がりでした。
第4章では、1975年12月、16歳での初録音が出てきます。クックハウス・スタジオで94イーストの5曲にリード・ギターで参加し、終了後、納得できない箇所を一人で録り直したいと深夜に頼んで、許された。16歳で、これです。
第5章が、ワンマン録音の原点。ムーンサウンド・スタジオのオーナー、クリス・ムーンの第一印象は、誰より早く来て、ドラム、ピアノ、ベース、ギターと次々弾き、楽器を持つと人が変わる少年。ムーンは自分の歌詞に曲をつける代わりにスタジオを無料開放し、握手だけの約束で鍵を預け、卓と録音機材を教えた。操作手順の表を見て自分で機材を回し、やがて録音を任される。
鍵を渡して、手順を表にして、任せる。場を与えた大人たちがいなかったら、この本の後半は始まっていない。育成の型として、ここはかなり見事です。
第6〜9章契約条件は完全セルフ・プロデュース

1976年夏に14曲のデモを作り、ムーンが芸名「プリンス」を勧めて、レーベルに電話をかける。NYでの売り込みは、弦楽器入りのアレンジを求められ、本人が自分で弾くことに固執して決裂。地元の広告会社経営ハスニーと組み、77年初めにStudio 80でデモを録り直す。オーバーハイムを全面に使い、機材に過負荷をかけるような型破りな使い方をしながら、24時間こもった。
ワーナーとの交渉で通したのが、デビュー作の完全セルフ・プロデュースです。目付役のベテランの同席を条件に容認され、77年6月25日に契約(前払い8万ドル、1枚の録音予算6万ドル、3枚を26か月以内)。売り込みでは年齢を1歳若く見せ、CBS・ワーナー・A&Mが競り合う形をハッタリで演出した、とも。譲れない一点を最初に出して、デモで裏づける。交渉としても筋がいい。
第7章『For You』(1978)では、27種の楽器を一人で演奏。曲の全パートを頭の中で鳴らしてから弾ける。一人で全部弾く理由は「全パートを同じ熱量で弾けるのは自分だけ」。表題曲はアカペラを46回重ね、シンセをコードやリードの主役にしてホーンの代わりに重ねる手法は、後の「ミネアポリス・サウンド」の原型とされる。ただし予算は大きく超過した。
第8章の2作目では、予算を初作の4分の1に抑えて、「ビジネスマンとしても証明したかった」。24トラックがあるのに16トラックで足りたのは、アレンジが頭の中で完成していたから。前の仕事の超過を、次の仕事で取り戻している。
第9章『Dirty Mind』(1980)は、目付役なしの地下でほぼ一人。理由は、不規則な時間に付き合える人がいないことと、気分が乗った瞬間を逃したくないこと。表題曲は夜のうちにドラムと鍵盤を2〜3テイクで録り、ブリッジはその場で作曲。翌日の昼には、ギターと歌まで入ったラフミックスができていた。録り直しは、ほぼしない。
第10〜11章一人で重ねて録る型ができるまで

第10章は、エンジニアのロス・パロンへの著者の独自取材が中心です。スタジオBを24時間貸し切りにして、機材は出しっぱなし。夜8〜10時に来て明け方まで、部屋は暗くしてキャンドルと香を焚く。ドラムは自分でチューニングして、クリックなしで2〜3テイク。ギターとベースはエンジニアを退室させ、自分でリモコン操作してパンチインした。
手法が面白い。生ドラムとリンのドラムマシンを重ねるハイブリッドの先駆けで、まずキックの低さで判断する。ヴォーカルは完全に一人で、ヘッドホンではなく小型スピーカーを小音量で鳴らし、エフェクトなしで歌う。テープのメーターを振り切らせる過入力が、独特の質感を生んだ。
ミックスもパロンが準備してから退室し、小型スピーカーを大音量で鳴らして、複数案を作って一晩置いてから選ぶ。パロンの比較がいい。マイケル・ジャクソンもプリンスも、求めるものは明確。違いは、MJは人に伝える必要があり、プリンスは自分で弾けたこと。エンジニアの仕事が「準備して、場を外す」に変わっていくのがよく分かる。
第11章『1999』では、人種も性別も混ざったザ・レヴォリューションを結成する。ただしスタジオでは基本的にソロで、深夜に呼び出すこともあった。創作観は「頭の中で鳴っている完成形を形にするだけ」。表題曲は朝来て20分で書き、昼にミックス、夕方にはマスタリングまで。当初は3人で歌い通す案だったのが、ミックス段階で歌い手が順に引き継ぐ形に変わった。
一方で、食事も睡眠も後回しにし、エンジニアを帰さず、人の弱さを許さない、という証言もある。ここは美談として読まない方がいい。
第12章リハーサルごと録ったPurple Rain

1983年夏から84年、映画撮影と並行して、LAとミネアポリスを往復しながら夜間に作業した。拠点はセントルイス・パークの倉庫。返品予定だったAPI卓と借り物のテープ機、PAの配線をつないで、リハーサルそのものを録音できる体制にした。
83年8月3日のファースト・アヴェニューでの慈善公演のライヴ録音が、収録曲の約半分の土台になった。ここが要点です。あとでサンセット・サウンドで歌やシンセを重ねる、二段構え。練習の場そのものを記録しておけば、最良の瞬間を逃さない。
曲ごとの話も細かい。「Let's Go Crazy」は、リンLM-1のループにドラマーが合わせ、最小限のマイクで1〜2テイク。「I Would Die 4 U」は、エンジニアのドン・バッツがLM-1用のMIDI接続を自作し、モーグのシーケンサーをリンに従わせて、ライヴ再現を可能にした。「When Doves Cry」はミックス中にベースを抜き、自ら卓を操作して1日で完成。初の全米1位です。ベースを抜いて1位。ここが一番かっこいい。
仕事ぶりは、録音からミックスまで一気に通し、食事を断ってコーヒーだけ。初テイクの完成度とエンジニアの即応を要求し、24トラックが足りなければテープ機2台を連結する。12〜15分の長尺を録って、アルバム版は編集で作った。1/8インチ単位のずれまで聞き分けたという。
成果は、年末まで首位、映画興収7千万ドル、2,200万枚、グラミー3部門とアカデミー賞。一方で、99公演のツアーは同じ曲の反復で消耗し、途中で折れかけたと本人が語っている。
第13〜15章成功の直後に型を外す、その裏の消耗

第13章『Around The World In A Day』は、「パープル・レインの人」に固定されるのを恐れて、ツアー後すぐスタジオに戻り、4か月で完成させた作品。大半は単独録音だけど、「America」や「Raspberry Beret」はバンドと録りっぱなし。弦はリサが編曲した。85年4月、宣伝なしで1位になり、収益はペイズリー・パーク建設へ回った。大成功の直後に、自分を模倣しない。言うのは簡単で、やるのは一番むずかしい判断です。
第14章『Parade』の「Kiss」は、アコギと歌の簡素なデモが原型。リンのハイハットでギターを開閉させる偶然の手法で、ベースは入れず、キックにリヴァーブ。85年4月17日には、4曲分のドラムを止めずに一発録りし、続けてベースを重ねた。
弦編曲家のクレア・フィッシャーとの関係は、任せ方の極端な例です。本作から長く弦編曲を担当したのに、一度も会っていない。カセットを送り、予算と裁量を丸ごと委ねた。全工程を自分で握る人が、信頼した外部の専門家には口を出さない。
第15章『Sign 'O' The Times』では、自分の音楽性がバンドを超えたとして、ザ・レヴォリューションを解散。新設のペイズリー・パークで制作する。「If I Was Your Girlfriend」はテープを遅く回して録り、通常速度で再生して声を高くし、女性的な別人格を作った。エンジニアのスーザン・ロジャーズのミスでマイクプリが10dB上がったまま録ったのに、歪んだ音をむしろ喜んだ。事故を、そのまま音に変える。
この章の裏側は重い。24時間働き4時間寝る生活に付き合ったロジャーズは、約5年で燃え尽きて離れた。アルバムは高評価でも、その速さは誰かの消耗の上にあった。本書は、そこを隠さない。
第16〜19章電源を入れたら即録れる状態にしておく

第16章『The Black Album』は、1987年12月に出る予定が直前に中止され、海賊盤で出回って伝説化した作品。ロジャーズによれば、休日の息抜きのように作った寄せ集めで、発売するつもりもなかった。「Bob George」ではテープ速度の変更やピッチ・シフターで声を1オクターブ下げ、薬物依存の男を演じている。1994年に正式発売。中止の理由を本人は、いつ死ぬかわからず、これを最後の作品にしたくなかった、と語る。なお、破棄枚数は本書の中で約50万枚と25万枚で食い違っています。
第17章『Lovesexy』は、作曲から録音まで7週間。新人エンジニアのエディ・ミラーは朝の電話一本で呼ばれ、時給は安く、ポケベルで呼び出された。ここで出てくる鉄則が、プリンスが楽器の電源を入れたら即座に録れる状態にしておくこと。音作りより、最高の瞬間を残すことを優先し、マイク選びで流れを止めない。
俺は、この本でいちばん持ち帰る価値があるのはこの一行だと思う。決める人の手を止めない。そのために段取りを全部先に済ませておく。創造的な仕事ほど、準備の地味さが速さを決める。
第18章『Batman』は、Lovesexyツアーの合間の1か月強で制作。ラッシュ映像を壁のモニターで流しながら、場面ごとの要望に合わせて曲を作った。トラック配置を固定し(1=ハンドクラップ、2=キック、3=スネア、9=ベース、16=リード・ヴォーカル等)、速さと再現性を確保する。「Batdance」は、別の曲にタンバリンを加えたいという要望から、キックの音で16分音符のタンバリンを鳴らす仕組みをズウィッキーが考え、それをベースやギターに応用して生まれた。アルバムは6週連続1位、450万枚。
第19章『Graffiti Bridge』は、昔のように競争心に駆られる必要はないと悟った、と本人が語る時期。昼からバンドとリハーサルし、夜中まで録音し、帰宅後にリハの映像を確認する毎日で、「仕事中毒」を褒め言葉と受け取った。音楽理論の用語は知らないが耳は天才的、という評。1枚のために3〜4枚分の曲をボツにするほど多作でした。
第20〜21章卓そのものを楽器にする

第20章『Diamonds And Pearls』(1991)は、公式バンドNPGとの制作。誰もがドラム・マシンに頼る時代だから有機的な音を選んだ、と本人。「Cream」は頭の中で完成済みで、初日で95%。2〜3週間でほぼ完成形のラフを作り、その後14か月かけて細部を詰めた。速さと粘りを、ちゃんと使い分けている。
エンジニアのシルヴィア・マシーは、3〜4室を同時に回し、レヴォリューション期の古いマスターを複製して、ベースやリフを差し替え、7曲の新曲に作り替えた。準備が欠ければクビ、という厳しさ。「Get Off」はジャムから生まれ、1日で十数曲録った。「Money Don't Matter 2 Night」は、過大入力で歪んだテイクをそのまま採用している。
第21章『Love Symbol』は、発音できないシンボルを名乗った最初の作品で、ワーナーへの抗議でもあった。前夜に書いた曲を1パートずつ教え、リハなし20〜30分で通し演奏まで行く。気に入った音が決まるとマイクの種類と位置を固定し、エンジニアの工夫を許さない。
コントロール・ルームを「全作業の心臓部」と呼び、ドラム以外の楽器を卓の後ろに常設して、96チャンネルのSSLに入れ替えた。卓そのものを楽器として使い、パンチインとスポット消去で編曲する。「7」はほぼ一人で演奏して、全米7位。
思いついてから録るまでの距離を、物理的にゼロにしていく。自他共に認める機材好きの俺としては、この配置の話だけでご飯が食べられる。笑
第22章2016年4月21日とヴォルトの千曲

最終の第22章は、2016年4月21日です。2000年代以降も活動は途切れず、本人は「カムバックではない」と語っていた。死の6日前、アトランタ公演後の機内で倒れて緊急着陸し、これが最後の公演になった。ペイズリー・パークで亡くなり、大統領声明が出され、世界の名所が紫色にライトアップされ、ラジオは24時間放送した、と書かれている。
ヴォルトには完成曲が千曲あり、毎年5〜7枚出せたと本人は語っていたそうです。非公式のジャムまで、全部録音して保存していた。著者は、これから先何十年も新曲が出続けるだろう、と結ぶ。「はじめに」では、ヴォルトに2000曲超の未発表曲がある、とも紹介されていました。
作ったものは全部残す。でも、完成した曲には執着せずに次へ進む。この二つが同居しているのが、この人の仕事の本体だと思う。
LESSONS明日から使える教訓
- 待つのが制約なら、自分で回せる技術で外せ人や設備を待つのが制約なら、道具と技術を自分で覚えて、制約ごと外す。権限(鍵)を渡す、手順を表にする、任せる、が育成の型。クリエイティブ的にいうと、待ち時間をゼロにした人が一番たくさん作る、ってことです。
- 決める人の手を止めない段取りを、先に整えろ道具は常にすぐ使える状態にして、うまくいった配置や設定は固定して再現する。創造的な作業ほど、段取りの標準化が速さを生む。地味やけど、ここが一番効く。
- 速さを支える人の消耗を、見ないふりするな一人で決める体制は速さと質を生むけど、離反や消耗も生む。意思決定の範囲を先に合意して、続けられる体制を作る。俺は、不眠続きの働き方だけは真似しなくていいと思う。
CONCLUSION俺の結論
結論。頭の中で完成形を鳴らせ。そのうえで、思いついてから形にするまでの距離を、段取りで縮めろ。人を待っている時間は、だいたい削れる。
道具は出しっぱなしでいい。うまくいった配置は固定する。外の専門家には、任せたら口を出さない。
ただ、その速さを誰が支えているかは、ちゃんと見ておく。全部一人でやれる人ほど、周りの消耗に気づきにくい。プリンスの録音術は、真似したい部分と、真似しちゃいけない部分が、両方そろった教科書です。
NEWS関連ニュース
この本のテーマについて、最近話題になったニュースです。
プリンス、10曲入りのニューアルバム『Timeless』発売決定 40年にわたるレコーディング総括
2016年4月21日に57歳で亡くなったプリンスの没後10年にあたり、未発表音源を含む10曲入りのアルバム『Timeless』が8月28日に発売されると発表されました。収録曲は1977年から2016年に録音された楽曲を集めたヴォルト(保管庫)から選ばれ、先行配信曲は1995年録音の未発表曲「Stone」です。約40年にわたる音楽性を振り返る作品と位置づけられています。
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故プリンス、全キャリアを網羅するアルバム『Timeless』発売
『Timeless』は国内盤CDとデジタル配信が2026年8月28日、アナログ盤が9月16日に発売されました。ヴォルトから発掘された未発表音源全10曲で、1曲目は1977年録音の「I M YOU」、最終曲は亡くなる直前のツアーとなる2016年3月4日のオークランド公演のライブ録音です。初期のミネアポリスでの録音から晩年までの約40年をたどる内容と説明されています。
この本とのつながり:本書が描く1977年のデビュー前後の宅録から、晩年の録音までが、一枚に並んだ作品です。ワンマン録音から始まった制作の軌跡を、音で追いかけられます。
FOR YOUこんな人におすすめ
- プリンスや80年代の音楽が好きな人
- ものづくりの現場で、速さと質を両立させたい人
- 自宅録音やDTMで、一人で作るやり方を探している人
合わないかもしれない人:機材のスペックや録音の技術書を求めている人。型番は出てきますが、中心は人と仕事の進め方です。
FAQよくある質問
『プリンス録音術』は何が書いてある本ですか?
プリンスの1977〜94年のアルバム制作を、エンジニアやバンド・メンバーの証言で追う本です。一人で録る手順、機材の使い方、周囲の消耗までが描かれています。
プリンスはなぜ一人で録音したのですか?
本書では、16歳の初録音で納得できない箇所を一人で録り直したいと頼んだことや、スタジオの鍵を預けられて卓を一人で回した経験が、ワンマン録音の原点として描かれています。
原書と翻訳は誰ですか?
原書は2016年の『PRINCE IN THE STUDIO』で、著者はジェイク・ブラウン、訳は押野素子さんです。日本語版は2018年12月12日にDU BOOKSから出ています。
ワーナーとの契約条件はどんなものでしたか?
1977年6月25日の契約で、前払い8万ドル、1枚の録音予算6万ドル、3枚を26か月以内という内容です。条件として、デビュー作の完全セルフ・プロデュースを獲得しました。
『Purple Rain』はどのように録られましたか?
倉庫に卓と借り物の機材を組み、リハーサルそのものを録音できる体制にしました。1983年8月3日のライヴ録音が、収録曲の約半分の土台になっています。
エンジニアの鉄則は何ですか?
プリンスが楽器の電源を入れたら、即座に録れる状態にしておくことです。音作りより、最高の瞬間を残すことが優先されました。
プリンスの制作はどれくらい速かったのですか?
『1999』の表題曲は、朝来て20分で書き、昼にミックス、夕方にマスタリングまで終えたと証言されています。『Lovesexy』は7週間、『Batman』は1か月強で制作されました。
ヴォルトとは何ですか?
テープの保管庫のことです。本書では、完成曲が千曲あること、「はじめに」では未発表曲が2000曲超あることが紹介されています。
この本の批判や注意点はありますか?
証言や数字は本書の記述の紹介です。本の中で数字が食い違う箇所もあり(The Black Albumの破棄枚数など)、細部は鵜呑みにしないほうが安全です。
プリンスの曲を知らなくても読めますか?
読めます。中心は曲の解説ではなく、制作の進め方と人の話なので、ものづくりや仕事術の本として読めます。
MONOGENIC伊丹谷のブログから
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