INTROどんな本か
スタバで「グランデ」と言えない。それだけの理由で、エッセイを一本書けてしまう人がいます。
オードリーの若林正恭さんです。しかも言えない理由が容赦ない。そう言う人を、自分が内心で嘲ってきたから。人に向けた斜めの目が、ブーメランみたいに自分へ返ってくる。いや、そこまで正直に書くか、と思う。笑
雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載に加筆し、書き下ろしの第二章を足したエッセイ集です。第一章が33本、第二章が5本、そしてあとがき。まえがきは2018年7月付で、著者は40歳になる年。
原点は、まえがきに出てくる「なぜみんなは平気なのか」という違和感。幼稚園のセーターのチクチクが我慢できない。高校では学ランの第一ボタンを留めずに、教師に叩かれる。みんなが当たり前にやることに、なぜか自分だけ引っかかる。
だから、自分探しだけでは足りない。社会のほうも探さないと、生きづらさは消えない。自分探しと社会探しの二本立て。これがこの本の見取り図です。
俺がいちばん効くと思うのは、第二章の「ナナメの殺し方」。人目が怖いのは、気が弱いからじゃない。心の中で人を見下してきたからだ。順序は逆なんです。
2024年に「七つの大罪」という記事で、俺は嫉妬のいちばん厄介なところを、羨ましいという気持ちを認めずに正当化することだと書きました。若林さんが高校の文化祭で人気者を「価値下げ」した話は、その正当化の手口を、自分の側から解剖した記録に読めます。
処方箋は地に足がついています。楽しかったことを毎日書き出す。没頭できるものを持つ。他人の長所を書く。気質は変えられないから、抜け道を作る。この割り切りがいい。
人を斜めに見てしまう自分に、うんざりしている人。「なぜみんな平気なのか」をずっと抱えてきた人。そういう人には、説教ではなく、同じ穴に落ちた人の記録として効くはずです。
世話になった前田健さんや、父の死も出てくるので、全部が軽い本ではありません。それでも読み終わると、少し楽になる。冷笑の側から熱の側へ、ひとりの人が歩いた8年分の記録です。
CHAPTERS章ごとの中身
まえがき原点は「なぜみんなは平気なのか」

まえがきは、ちょっとした開き直りから始まります。「自分探し」は人をからかうときの言葉だ。それは分かってる。でも自分のことが分からないから、探すしかなかった、と。
原点は、幼稚園のセーターのチクチクと、高校の学ランの第一ボタン。今なら、校則のボタンは支配に従う練習だったと言える、と振り返ります。疑問を持ってしまう人は、自分と社会の両方を探さないと生きづらさが消えない。ここが本全体の前提です。
明るく前向きな人になるのは諦めた。でも、なぜか自分探しの答えと、日々を楽しむ感覚にはたどり着いた。その経過をまとめた本だ、と言っておいて、今もネクタイが苦しいことを気にしている自分を笑って終わる。この温度が、最後まで続きます。
最初のエッセイ「再開します」は、半年休んだ理由の告白から。書けなくなっていた。以前は1時間で書けたのに、休む前はカフェに3時間いても何も出てこない。30歳で「社会」に引っ越したようなもので、最初はゴルフバーにもスタバにも驚いていた。それまで人を避けていたのは、プライドの高さから身を守るためだった、と。
6年たって、社会がすっかり地元になった。だからもう驚かないのだ、と気づく。で、この回は1時間で書けた、というオチ。いや、ちゃんと書けてるやん。書けない理由を正直に差し出すところから始める。この本の誠実さは、もうここに出ています。
第一章他人の正解に合わせ続けない

「自分の正解」は、幼稚園で将来の夢を聞かれて、家族が喜ぶから「科学者」と答えた話です。本当はバスの運転手になりたかった。野球ではわざと前に出て勇敢な子を演じ、ラグビーでは抜かれたふりの演技を見破られる。
他人の正解に合わせ続けると、自分の正解が分からなくなる。大人数の場で居場所が分からず、強い人に振り回されたのが人見知りの原因だった、と若林さんは分析します。有名人の正論に乗りたくなる時代でも、誰かの正論と自分の正解は別物だ、と。
処方がいい。本音は殺さずに、財布にこっそり入れておく。いざという時に背中を押してくれるから。それまでは強い人に物分かりのいい顔をしておいて、出すタイミングだけは誤らない。正面突破しないところが、いかにも若林さんです。
「ぼくは紅茶を『飲みたい』か?」も、同じ根っこの話。高校時代、不良の家で紅茶を勧められて、相手の望む答えを探して失敗した。自分が飲みたいかどうかは、考えもしなかった。他人優先の癖の源は親の顔色だった、と書いたうえで、素直になる第一歩は自信を持つことじゃない、自分の臆病さを認めて笑ってもらうことだ、と言います。
「野心と欲望」では、バブルを引きずる中年に「一流に触れろ」と説教される。安くて良い物に囲まれ、気の合う仲間と楽しく暮らすのも立派な欲望で、実現するのは奇跡に近い。野心は自然に湧くもので、人に言われて持つものじゃない。
第一章2009年の自分と、前田健さんの言葉

「2009年とぼくと」は、大喜利のトーナメントライブの決勝を前に、なぜか落ち着いている自分を見つめる回です。2009年の自分は「客の評価など関係ない」と言い聞かせながら、平凡な本音を隠して、特別な人を演じていた。
根っこにあるのは、親の期待に応えなければ愛されない、という子ども時代の圧力。理想の自分を追うのは、錆びたハシゴを登るようなものだ、と書きます。登るほど理想は遠ざかって、落ちるのが怖くなる。評価を追い続ける天才に憧れるより、等身大で気楽なほうがいい。そう気づくまでに37年かかった。
「男性ホルモン?」では、20歳ごろをピークに減っていくと知って、イライラが消えたのは精神的な成長じゃなくホルモンのせいかもしれない、と疑う。自分の変化を成長物語にしない正直さがあります。
そして「まえけんさん」。この回は静かに読みたい。21歳の若林さんに、前田健さんは後輩相手でも丁寧に頭を下げ、一目で荒んだ内面を見抜いた。ファミレスで何度も愚痴を聞き、「でも」と言う癖を注意し、理屈をこねると笑いで返して、最後は「幸せになったもん勝ち」で締めくくった。
通夜の席で、前田さんは幸せだったのかと考えるのは、自分が安心したいだけだと若林さんは気づく。「今、幸せ?」というメールは、幸せになれという意味だった。前田さんが監督した映画を見返すと、本人そのものが詰まっていた、と書いて回は終わります。
評価を追って特別な人を演じていた自分と、その内面を最初から見抜いていた人。この二つが同じ章に並んでいることには、意味があると思う。
第一章鍼とキューバ、情報のない時間の効用

「鍼の効能」は、地味に実用的な回です。治療中の1時間は、スマホも本も使えない。すると昔のどうでもいい場面がよみがえって、急に真相が分かる。バイト時代に自分を責めた後輩は、女子大生に気があった。奇妙な告白をした仲間は、注目されたかっただけ。10年越しの答え合わせです。意味のない時間が、体を軽くする。
「キューバへ」は、ネットの届かない国への初めての一人旅。ハバナ旧市街の古い建物と匂い、陽気な住民、日本のニュースから切り離される痛快さ。海辺では、子どもの頃の隅田川の匂いを思い出す。道中の語りかけの相手が誰だったのかは、最後に明かされます。ここは本で読んでほしい。
「お悩み相談」は、若手芸人への失恋相談の答え直し。若林さん自身は20代に6年引きずって、相手の欠点を書き出すのも、映画をまねて走るのも逆効果だった。自信のない人ほど自己否定と戦うけど、勝ち目はない。だから完治を目指さず、お金のかからない没頭で時間を埋める「シャットアウト」を勧める。苦しい時の脳は敵だと思え、と。
ゴルフの回もあります。「ベストスコア」では、夜の打ちっぱなしで上達を考える時間が、仕事の不甲斐なさを上書きしてくれる。飛ばす欲を捨て、結果を意識せず今に集中し、力を抜くほど飛ぶ。それを禅にたとえるあたり、だいぶハマってます。笑
悩みと正面から殴り合わない。情報を断つか、没頭で埋めるか。この本に出てくる処方は、だいたいこの二つのどちらかです。
第一章借り物の型と冷笑を手放す

「オリジナル」は、ものを作る人ほど刺さる回です。事務所に入るとウケなくなり、先輩の手法をまねて作家に叱られた。学校も部活も外から公式を教わる方式で、内側から作る方法は知らなかった。誰もやらないことをやるのは簡単。でもウケるのは難しい。まず自分の特性に行き着く必要があった。相方の上から目線と、自分の冷たいツッコミ。外から借りた公式は、自分の体に合わない。作る仕事をしている人なら、身に覚えがあるはずです。
「おっさんはホスト」では、若者はゲスト、おっさんは場を守るホストだと悟る。おっさんの批判には、代案と責任が伴う。「耳に痛い話」は、『しくじり先生』約3年・約120人の授業から得た結論。自分の弱さと向き合うのが最も難しい。だから耳の痛いことを言ってくれる、信頼できる人を持て、と。
「逃げる正論」は、テレビで正論を競う風潮が、深夜ラジオにまで及ぶのを恐れる回です。少数派の極論も笑いにして受け入れた番組に救われた、と書く。正論は正しいが、面白くない。相手に正論をぶつけて数多の失敗をしてきた俺には、正直かなり耳が痛い。
分岐点は「言葉の熱湯」。高校時代から日本語ラップに救われてきた若林さんが、オーディション番組のMCとして決勝を見届ける。冷笑は、冷笑されるのを恐れる者の逃げ場だ。何もしないまま老いる、と自分を戒めて、熱を浴びせてくれた若いラッパーたちに感謝する。
ここは俺も他人事として読めません。2021年のブログに、その7、8年前の話として書いたことがある。アメリカで働く尊敬する先輩の車でハイウェイを走りながら将来の夢を語り、照れ隠しに「熱く語ってすいません」と言ったら、出口を8個くらい乗り過ごしながら怒られた。やりたいことをやるヤツが熱く語るのは普通だ、と。それ以来、恥ずかしくても、できる限り熱く語ろうと思っている。
第一章の最終回「凍える手」で、若林さんは冷笑からの卒業をはっきり書きます。半年の休載は、世の中への怒りや劣等感が書けなくなったからだった。連載の初回では、好きなことを仕事にしたから趣味は要らない、と書いた。でも今は、趣味こそ絶望への安全網だと考えている、と。
第二章「ナナメの殺し方」は好きを書き出すこと

第二章は書き下ろしの5本で、その1本目「ナナメの殺し方」が、この本の芯です。スタバで「グランデ」と言えないのは、そう言う人を内心で嘲ってきたから。他人への否定的な目は、ブーメランのように自分へ返ってくる。人目を気にする人は大人しいんじゃない。心の中で人を見下している人だ。その筆頭に、若林さんは自分を挙げます。
起点は高校の文化祭。舞台に立てない自分を守るため、盛り上がる人気者を価値下げした。価値下げは楽だから、癖になる。行事も旅行も告白も避けるようになって、自分も我を忘れて楽しめない。毎朝が、他人に裁かれる一日に思えてくる。
俺は「七つの大罪」で、嫉妬からくる正当化を、歳を取るほど脱げない鎧のようなものだと書きました。若林さんは、その鎧を自分の手で脱ぎにいった人だと思う。
やり方が具体的です。表紙に「肯定ノート」と書いて、楽しいと感じたことを、小さくても毎日書き出す。30歳過ぎに実践して、散歩、花火、同期との酒、馬に乗ることと、意外な好きが見つかっていった。好きが分かると、他人の趣味も尊重できる。35歳でプロレスにはまる。外野の冷や水は、本気の熱で蒸発する、と。
好きを持つことは世界を肯定することで、何でも否定する人は世界が嫌いだから生きづらい。ネガティブな気質は遺伝的で変えにくいから、救いは没頭できる仕事や趣味だ、と整理します。最後に、他人の長所も書く。尊敬する人、身近な人、腹の立つ人の順で。他者肯定が身につくと、自分を否定的に見る人は、思ったよりいないと感じられるようになる。
大事なのは順番です。いきなり他人を褒めろ、じゃない。まず自分の好きを掘る。俺が2020年に「承認欲求の奴隷になるな」で、他人の評価より自己満足できることに没頭しろ、と書いたのと、入口は同じだと思う。
第二章スベりはデータ、外の評価は疑っていい

「AI vs オードリー」は、特番で開発者と、M-1で勝てる漫才をAIが作れるかを議論する回です。帰りの新幹線で若林さんは気づく。ウケとスベりの両方のデータの間に最適な間があって、芸人はそれをすでに脳内でやっている。勘とは、データ総量からの瞬時の結論だ、と。
だから、スベり続けた20代にも意味があった。今後スベったら「データが増えた」と考えることにした。開発者は、AIの壁は人間の感情だと言う。そこに若林さんは、M-1決勝前に、最後に好きなことをやって辞めようと決めた漫才を重ねます。自分たちが楽しめて、2割の客が笑えばいい。そういう感情に満ちた漫才だった、と。
「いるにはいる異性」の転機は、小説家の西加奈子さん、加藤千恵さんとの飲み会。食事やイルミネーションに興味がないという本音を、笑って受け止めてもらえた。受け入れてくれる異性が少数でも「いる」と知るのは、0か100かほどの差の救いだった。
「片頭痛2」では、10年近く頭痛外来に通っても月10回ほど発作が起きる若林さんを、心療内科の老医師が、外の評価を気にして緊張している緊張型頭痛だと淡々と見抜く。外のジャッジは本当に正しいのか、と。そう思えて、好かれようとする緊張はかなり和らいだ。
「体力の減退」は、40歳を前にした衰えの話です。スベっても悩まないのは、心が強くなったからじゃない。悩む体力がないから。20代の自意識過剰も、体力の余りだった。身も蓋もない。それでも河合隼雄『中年クライシス』で中年への移行を通過儀礼と受け止め、ラジオ10周年のライブでは、自意識や承認欲求じゃなく、聴いてくれる理解者に向けて「2人の感じ」を煮詰めた。上じゃなく正面に向かうのが40代の表現だ、という手応えで締めます。
自意識過剰な人ほど、歳を取ると楽になる。40代半ばの俺としては、この結論はかなり心強い。
あとがき人生は「合う人に会う」こと

あとがきは、夜の散歩で工事用のコーンを蹴散らした黒いフードの男に、昔の自分と通じる苦しさを見る場面から始まります。ただ、今の自分はもう、同じだと言える立場にはいない、と。
自分探しが嘲笑されるのは、多くの人が思春期に終えるからだ。他人と違うと感じる「生き方音痴」には、説明書としての自分探しと、攻略本としての社会探しの両方が要る。「考えすぎ」「気の持ちよう」式の助言は役に立たない、と心の問題を努力で片付ける風潮に疑問を投げます。
休載明けには脳科学や精神医学の本にはまり、家庭教師と中学の歴史を学び直して、慣習の背景を知って救われた。キューバやモンゴルで、社会の分業を体で知った。ただし毎回「だいたいわかった」で飽きる、と正直に書いているのが、この人らしい。
第一章の最終回「凍える手」には、痩せた父が病室で母の手を握って礼を言う姿が出てきます。自意識という内側ではなく、仕事・趣味・人という外側に大事なものを持つほうが楽だ、と腹落ちした場面です。
2016年4月14日に父が亡くなり、自意識は急に減っていった。もう会えないという事実から、会うことの価値が上がった。人生は「合う人に会う」ことだ、と若林さんは結論します。人見知りでよかったと初めて思えた、と書いて、2010年8月からの自分探しと社会探しを終える。
人が多く集まる場所が苦手な俺は、この結論を、人付き合いを増やせという話としては読みません。会いたい人に、ちゃんと会う。それだけのことが、いちばん難しくて、いちばん効く。
LESSONS明日から使える教訓
- 人を値踏みする前に、自分の好きを書き出せ人を斜めに見る目は、時間差で自分の挑戦を止める。まず楽しかったことを毎日書き出し、次に他人の長所を書く。ここ、順番を逆にしたら、まず続かへんと思う。
- スベりは損失じゃない。データとして数えろ勘は、経験の総量から出る瞬時の結論。失敗も、記録しておけば次の判断の材料になる。事業づくり的にいうと、新しい施策には、失敗を振り返る仕組みを最初からセットにしておけってことです。
- 全員に受けるより、合う人に向けて煮詰めろ外の評価は、正しいとは限らない。若林さんは理解者に向けて「2人の感じ」を煮詰めて、40代の表現を見つけた。俺は、ここがこの本でいちばん持ち帰りやすい教訓だと思う。
CONCLUSION俺の結論
結論。人目が怖いなら、まず自分が人を値踏みするのをやめろ。今日から、楽しかったことを一つずつ書き出す。散歩でも、花火でもいい。小さくていい。
冷笑は楽です。でも、楽な場所にいる限り、自分も我を忘れて楽しめない。好きなものを好きと言う。熱く語って恥ずかしくなっても、それは普通のことだ。スベったら、データが一つ増えただけ。
で、その足で、合う人に会いに行く。斜めの目を下ろした先にしか、その人はいない。この本は、そこまでの8年を、一人の人が正直に書き残した記録です。
NEWS関連ニュース
この本のテーマについて、最近話題になったニュースです。
オードリー若林さん直木賞候補に 初小説「青天」、5作ノミネート
日本文学振興会が2026年6月10日に発表した第175回直木賞の候補5作に、オードリーの若林正恭さん(47)の初小説「青天」(文芸春秋)が入りました。芥川賞の候補には鈴木涼美さんの「悪い血」などが選ばれ、選考会は7月15日に東京都内で開かれると報じられています。
この本とのつながり:本書は、若林さんが雑誌の連載で自分の考えを文章にしてきた記録です。エッセイから小説へと、書き手としての活動が広がっていることを示すニュースです。
FOR YOUこんな人におすすめ
- 人を斜めに見てしまう自分に、正直うんざりしている人
- 「なぜみんなは平気なのか」という違和感を、ずっと抱えてきた人
- 説教ではなく、同じ穴に落ちた人の記録で、静かに背中を押されたい人
合わないかもしれない人:すぐ使える解決手順を求めている人。これは著者個人の体験の記録で、助言書ではありません。
FAQよくある質問
『ナナメの夕暮れ』はどんな本ですか?
オードリーの若林正恭さんのエッセイ集です。雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載に加筆し、書き下ろしの第二章を加えて、自分探しと社会探しの過程を描いています。文藝春秋から出ています。
「ナナメの殺し方」とは何ですか?
第二章の1本目のエッセイです。人を斜めに見る癖はブーメランのように自分へ返ってきて挑戦を止める、という仕組みと、その抜け方が書かれています。処方箋は、楽しかったことを毎日書き出すこと、没頭、他者肯定の順に示されます。
肯定ノートとは何ですか?
表紙に「肯定ノート」と書き、楽しいと感じたことを小さくても毎日書き出す方法です。好きが分かると他人の趣味も尊重できるようになり、次に他人の長所を、尊敬する人、身近な人、腹の立つ人の順に書いて、他者肯定につなげます。
本の構成はどうなっていますか?
第一章が33本、第二章が5本のエッセイで、最後にあとがきがあります。短い話が並ぶので、気になる題名から読むこともできます。
「自分探し」と「社会探し」は何が違うのですか?
あとがきでは、他人と違うと感じる「生き方音痴」には、説明書にあたる自分探しと、攻略本にあたる社会探しの両方が要る、と説明されています。自分を知るだけでなく、社会の仕組みや慣習の背景を知ることも必要だ、という考え方です。
あとがきの結論は何ですか?
人生は「合う人に会う」ことだ、という結論です。父の死をきっかけに自意識が急に減り、もう会えないという事実から、会うことの価値が上がったと書かれています。
「AI vs オードリー」はどんな話ですか?
経験はデータで、勘はそのデータ総量からの瞬時の結論だ、という話です。スベり続けた20代も蓄積として意味があり、今後スベったら「データが増えた」と考える、とされています。
この本は誰に向いていますか?
人を斜めに見てしまう癖にうんざりしている人や、「なぜみんな平気なのか」という違和感を抱えてきた人に向いています。解決手順より、同じ悩みを通ってきた人の記録を読みたい人向けです。
重い話題は出てきますか?
家族や知人の死、持病の頭痛、心の悩みなどが出てきます。いずれも著者個人の経験で、助言ではありません。つらい気持ちが続くときは、周囲や相談窓口、医療機関に話してみてください。
連載はいつ頃のものですか?
第一章の初出は、雑誌「ダ・ヴィンチ」2015年8月号〜2018年4月号の連載で、第二章は書き下ろしです。まえがきは2018年7月付です。なお、最終回「凍える手」では、連載そのものは2010年8月に始まったと書かれています。
MONOGENIC伊丹谷のブログから
- 七つの大罪嫉妬のいちばん厄介なところは、羨ましさを認めない正当化。人気者を価値下げした若林さんの話と同じ場所を見ている
- 承認欲求の奴隷になるな他人の評価で自分の価値は変わらない、自己満足できることに没頭しろ、という2020年の話。好きを書き出して没頭する処方箋と入口が同じ
- 連載:Think out the box vol.2 “仕事”ハイウェイで「熱く語ってすいません」と言って怒られた話。冷笑から熱へ向かう「言葉の熱湯」とつながる
本文は書き写さず、自分の言葉で紹介しています。内容に誤りがあれば、本でご確認ください。 当ページのリンクはAmazonアソシエイト(広告)です。詳しくは広告について。






